野うさぎは見たことあるでしょうか?
うさぎというとペットショップや動物園でしか見たことがない、そんな人が多いでしょう。
都市部に住んでいたらそもそも見かける機会は少ないでしょうが、今では田舎でも見かけづらくなっています。
なぜ見たことがない人が多いのか、そしているとしたらどこにいるのかについて紹介します。
野うさぎを見たことがない人が多い理由
童謡「ふるさと」では「うさぎ追いしかの山~」とうたわれています。
「うさぎを追っていた、あの山」という意味ですが、昔の人は山でうさぎを追っていたことが分かります。
1960年あたりまでは、たくさん野うさぎはいたそうですよ。
でも現代の私たちは野うさぎを見かけることは少ないですよね。
地方に住んでいる私でも数回しか見かけたことはありません。
山に行ってカモシカや猿はみかけるんですが、野うさぎは全然見かけません。
この見かけない理由はいくつかあります。
- 野うさぎは全国的に減少している
- 夜行性に近いため日中はなかなか見かけることはない
- 臆病な動物である
野うさぎは全国的に減少しています。
これは人間に捕まえられり、外来種の動物の影響によるものでした。
こちら「ニホンノウサギ」ですが、県によっては絶滅危惧種に指定されています。
ニホンノウサギは動物園やペットショップにいるうさぎとはまた種類が違って日本の固有種です。茶色をしていて手足が長いのが野うさぎの特徴ですよ。
冬には白く色が変わるのもいます。
見かけることはない2番目の理由に、夜行性に近い動物です。
明け方や夕暮れ時に活動して日中は休んでいることが多いんです。
野うさぎは穴を掘らないので草むらなど目立たないところで休んでいます。ペットショップや動物園などにいるうさぎは外国産のアナウサギを改良したものなんで、穴を掘るんですよ。
3つ目の理由としては臆病な動物で警戒心が強いです。
気配を感じるとサッと逃げたり隠れたりします。
だから、逆に警戒心がまだない子ウサギなら見かけることはあるかもしれません。
私も見かけたのは子うさぎでした。小っちゃくてかわいかったですよ。
この理由から、ほとんど見かけることはないんですね。
今は野うさぎを見かけたら超ラッキーでしょう。
野うさぎはどこにいる?
意外と日本全土に野うさぎはいるんですよ。
- ニホンノウサギ・・・本州・四国・九州
- エゾユキウサギ・・・北海道
- エゾナキウサギ・・・北海道
- アマミノクロウサギ・・・鹿児島県奄美大島、徳之島
「エゾ」は「蝦夷」のことで、ほぼ北海道のことです。北海道に住んでいるうさぎです。
エゾナキウサギは「ナキ」という言葉が入っている通り、「ピィー」と鳴くんですよ。
アマミノクロウサギは奄美大島と徳之島だけに生息しているうさぎで、特別天然記念物に指定されています。「クロ」と入っている通り、黒っぽいうさぎです。
名前をみれば、どのようなうさぎか少しわかります。
さて、私たちに一番身近なのはニホンノウサギです。他の3種はかなり数が少ないうさぎです。
ニホンノウサギはどこにいるのかというと、藪(やぶ)や草原や森林で生活しています。
山の中かというと、そうではなくて人里に近いところで生活しています。というのも山だと斜面ですので、急に敵が来たとき逃げれない場合があるからです。
それに山だと大型の捕食動物もいますから危険です。
だから割と平地に近い所で生活していますよ。
私の見かけた子うさぎも、大きな川のそばの茂みからでてきたところでした。
野うさぎの住んでいるところのイメージとしては山と人間が住む地域の間あたり、「里山」といったところです。
里山はNHKでも「ニッポンの里山」という番組がありますが、あのイメージで「人間がある程度手入れをした自然地域」のことです。
その里山も、高齢化で維持することが少なくなっており、里山自体が少なくなっていることも野うさぎが少なくなっている理由です。
(参考サイト:「森の動物日記 森からの便り」)
まとめ
野うさぎを見たことがない理由と、どこにいるのかについて紹介しました。
意外と日本に野うさぎはいるんですよ。
個体数も減ってきていているので大事に見守ってあげたいですね。
終戦前後の小学生時代に我が家は兎、鶏を飼って
いました。時には、庭に野放しにしたことも、よくありました。
あるとき、南側の日当たりの良い庭の陰に、兎が穴を掘って中にかくれているのを小学生の小生が発見しました。興味深く、穴の奥を見つめていると、小さな生まれたての子兎が、複数匹。親兎が、その中で出産したのです。じっと覘きみていると、親兎は咄嗟に子兎たちの入っている穴を、周りの土で塞いでしまいました。母性愛の所作であることを、子供心に感じ取り、後で子兎たちを親兎の兎小屋に移したことを思い出します。兎の餌は、勿論、野の草で、近くの「土手の草」を採るのは、子供らの日課になっていました。なんと、どの草が、兎が好きか嫌いかまで、判定できるほど、経験を積んだことを思い出します。当時、終戦前後の食糧難の時代、鶏と同時に、農家の方に食肉にしてもらって、食卓の材料になった時の複雑な子供心を今も、忘れられません。冒頭の俳句(川柳かも)は、その想いを老後に詠んだ一句です。